早めであるが、午前九時チェックアウト。

外は雨。例によってスコールであった。今からこの中をバスセンターまで歩きます。

いくらお洒落スイ~ツが安くとも、所詮中国人と日本人では舌のつくりが違う。

胸やけがするほどの激甘生クリームに舌を打ちのめされ、それでも捨てることが出来ずに何とか食べきったケーキ四ピースの所為で、当分何も食べたくない。 服や下着など、要らないものはその都度捨てて、荷物の軽量化を図ってきたものの、お土産の物量攻撃がスーツケースをメタボ状態にしてしまっていた。ジャンパーは置いていこうとさえ思ったが、(他のバックパッカーがいずれ有効に使ってくれるはずである)やっぱりもって行くことにした。

大荷物を抱えているので、折り畳み傘では頼りない。荷物を隠せば、自分が濡れる。丁度よくやってきたバスには本当に救われた。

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一応、荷物をX線検査にかけて、ターミナルに入る。モニターを監視するおじちゃんは客たちと歓談中で、モニターのほうを全く見ていない。あとはチケットにある番号の搭乗口でバスを待つだけでよいわけだ。

飲み物と、パン、そして、見た目におかしくない大きなビニール袋を買って、濡れた服やらジャンパーやらを放り込むと、ごたごたといっぱいあった荷物がすっきりと収まった。

おりしも数日前、上海でバスが突如爆発して死傷者を出した事件が日本でも報道されたらしく、心配する家族の電話があったばかりであった。でもあれは手入れも満足にされていない路線バスであって、今から乗る長距離バスは新しいし、綺麗である。路線バスはほんとに酷い。一度もオイル交換とかしてないし、洗車は三年に一回あるかないかみたいな感じで、中には信号のたびにエンストするのもある。外層がはがれてエンジンがむき出しになっているのとかをみると、歴戦の勇者でもつい乗車を躊躇う。

例によって十五分遅れでバスは到着し、そしていくらかの空席を残しつつ出発した。

高架の高速道路をバスは駆ける。曇天の為、眺めはよろしくない。郊外は工業地帯で、それに混じる湿地やため池、水路の様が、水郷蘇州の地形を再認識させてくれる。こんなところで物を作って大丈夫なのか。

途中、渋滞があった。バスはゆっくりと、へちゃげた黒塗りのベンツの横を通り過ぎた。

こんな酷い交通マナーでどうして事故が起こらないのか不思議になるが、見えないところでやっぱり事故は起こっている。蘇州でも自動車がスクーターと接触事故を起こした現場に行きあったことがあった。

雨はやむ様子を見せない。

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二時間もたたずに、上海駅北のバスセンターに到着した。僕は再び上海に降り立つ。

雨のおかげで、空気の悪さをあまり感じない。

地下道に入る。雨もしのげるし、あたたかくて、一息つくには最適だった。時刻は十二時にもなっていない。ガイドブックを参考に、まずは宿を探すとする。上海にも青年之家旅社はあって、そこにするのがよさげに思う。

地下鉄を利用してみた。利用法は日本の地下鉄とほぼ同じであると、ガイドにはある。ならば問題は無い。あるとすれば、僕は生まれてこの方、地下鉄に乗ったことが無い田舎星人だということだけだ。

タッチパネル式の券売機に料金を投じ、画面を押すと、プラスチックカードが出てくる。これが切符。

 

自動改札機がある。カードをびしっとタッチさせてこれをくぐり、プラットホームへ降りる。列車は十分おきくらいにやってきた。綺麗で新しい列車は乗り心地も悪くない。相変わらず、中国は都市と地方で差がありすぎる。それと停車時。バスでもそうだが、中国人は乗る人が先だと思ってやがるらしい。小学校の先生が教え忘れたのだろう。

二駅先で降りて、散策がてらホテルを探す。少し歩いたがすぐに見つかった。

旅社は西洋人の若者でいっぱいであった。飛び交う言葉は英語であるかどうかさえ分からない。外国では有名なホテルなようなのだ。

なんとか部屋を与えられ、そこに荷物を放ってあわただしく観光に出る。明日は日本へ帰るので、上海の街を巡る時間はほとんどない。

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清末、列強の侵略を受けた上海は各国の植民地として切り売りされることになった。そんな歴史を背景に中国最大の都市のひとつとして不気味に成長した上海は、洋の東西、時代の新旧、豊かさと貧しさ、世の中の清と汚、その全てを飲み込んでいる。即ちこれが、魔都上海と呼ばれる街の姿である。

 

 

確かに、天を衝く高層ビルがあるかと思えば、煤けた長屋が地を這うように建っている。ショッピングモールをひやかす彼氏彼女がいるかと思えば、玄関先で炭火を熾し、晩御飯の準備をする老婦人がいる。空を隠す無数の電線はトロリーバス専用で、しかし上海には磁石で浮いて走る乗り物があったりする。上海は都市として奇形だ。

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ローソンを見つけた。嬉しくなって僕はそこで飲むヨーグルトと日式巻ずしを買った。不味かった。

上海自然博物館。前に行ったのは上海博物館で、こことは違う。いろんな生物標本(人間含む)がある。ガイドブックには乗っていない。外面のよい上海博物館の裏側、ダークサイドバージョンみたいな博物館である。

建物自体は旧時代風で、それそのものに歴史的価値があるように思える。特にトイレなんかいい感じで、撮影の価値がありとみてシャッターを切った。

恐竜の骨格。パンダの剥製。真白に脱色したホルマリン漬けのウニやらカニやら深海魚やら。気持ち悪い物好きにはたまらない展示物の数々。国内で発見されたミイラ。瓶詰めされた赤ん坊。

これでも大人しくなったほうで、昔はもっとすごいものがあったらしいよ。無脳症の胎児とか、単眼症の胎児とか。

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適当に歩いた果てに、図らずも豫園に到着してしまった。

豫園は世界に名高い上海の名園で、その名声は蘇州の拙政園、留園に匹敵する。

ここなんか、よくテレビでも見かけると思う。

奥に見える建物が湖心亭。茶房である。手前の石橋を九曲橋という。正確には、豫園の外にある建物で、豫園ではない。周辺の商業施設群・豫園商城も名観光地として名を売っているのである。

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豫園は蘇州の各庭園とは時代を異にするので、庭園の趣もやや変わっている。元は個人の邸宅だったのを一般に開放したものだから、観光客向けに手が加えられている所為もあるかもしれぬ。

豫園はいたるところ手が込んでいるように思う。屋根細工とか、欄間の彫り物とか。漏窓も、同じ模様のものは一つとしてなく、動植物の細かい細工がいちいち施されていた。蘇州の庭園はシンプルな感じだったけど。

拙政園みたいに馬鹿広くないので、歩き回るには丁度いい広さだった。日の暮れかけた曇り空も逆にいい味を出していると思えなくも無い。

あと、なぜか猫が大量に歩き回っていた。入園無料、入退場自由らしい。我が物顔で闊歩するトラ猫に僕は声をかけた。

「ガイドしてよ」

猫は答えた。

「いいぜ。ついて来な」

それで、我々はしばらく一緒に歩いた。

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園を出ると、シューマイのいい匂いが漂ってくる。焼き鳥とか、肉まんとか、シューマイとかこういうのを小吃シャオチーと呼ぶ。安くてすぐできて、お腹も膨れる中国のファーストフード。中でも豫園から出てすぐにある南翔饅頭店は国内外に有名で、行列の途切れることが無い。僕は並ばなかったけどな。待つのは好きだが、並ぶのは嫌いなんだ。

その写真がこれだ。こいつらのほとんどが日本人。日本人は行列に並ぶのが大好きだからな。列の先に何があるのか分からないのに、とりあえず並んじゃったりするからな。挙句トイレだったりしてな。言っとくけど、これはいやみだから。

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なんにせよ観光地なもんで、食べ物にしてもお土産にしても、かなり割高である。猫に薦められた、雀の子の唐揚げとか、食べたいものもたくさんあったけど、炒飯一杯に三十元も払えるか! いや払えない。

ぼったくる気まんまんで怪しげな日本語で話しかけてくる売り子たち。いいな、と思う品があっても千元とか財布にあるわけもなし、ただ黙って首を振る。

「七百元!」

「五百元!」

「三百元! ドウヨ!」

「ちくしょう、百元だ!」

大して買う気も無い商品に大枚ふっかけられたときは、どんどん安くなっていく値を背中に聞きながら悠然と歩き去ってみよう。結構気もちいいから。

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関口なんとかが中国の列車に乗って旅をする番組をNHKでやっていた。本も出ている。今回の旅も、かの番組を参考にしたところが無いでもない。

で、その番組で『姓名題詩』というやつをやっていた。

『姓名題詩』とは、こんな感じに人の名前を頭において詩を作るというもので、

関心冷暖世間情     心を冷暖なる世間の情に関らせ、

口吐珠璣話古今     口は珠璣を吐きて古今を話とす。

知難而進勤精業     知るは難くとも進みて精業に勤め、

宏作廣傳娯視聽     宏く作り廣く傳へて視聽を娯しましむ。

お土産屋さんとかでは日本人に人気があるらしい。中国っぽいし、お土産には最適だ。

関口なんとかは自分の名前を詩にしてもらって、なおかつその詩が含蓄深い傑作であったことに感動し、このことを特に記している。

豫園にも『姓名題詩』があった。さっそく母親の名前で書いてもらうことにした。どんな奥深い詩が出来上がるのか実に楽しみだ。

そのおじさんは筆鋒に墨を含ませつつしばらく考え、筆を走らせ始めた。しかし書き上がったのはあまり出来のよろしくない七言詩だった。言い忘れたけど、大学で中国文学なんかやってた所為で、僕は漢詩が読める。

穏やかな性格のおかげで家名が上がるとか。家が富み栄えてみんな幸せだとか。子は大成して先哲を超え、家業は繁盛するとかなんとか。そんなことが、書いてある。

確かに名前を頭文字にして、韻もきちんと踏んである。でもその内容は辞書を適当に開いて目に付いた美辞麗句を並べ立てた感じの詩だった。

「あまりよくないね」

僕は言った。するとおじさんは、

「いい詩だよ! 君は何も分かってない! いいかい・・・」

と、本当にごっつい辞書を取り出して解説を始めた。さっきからちらちら机の下を見ていたと思っていたけど、カンニングかよ。

確かにいいことが書いてある。でも僕はもっとこう、人生を感じさせるような、そんな詩を期待したのである。こんな適当に韻を踏んだ、縁起がいいだけの言葉を並べた詩はいらない。外国人と思って、適当なこと言ってんじゃねえぞ。

でも残念ながら、それを中国語にして口に出す能力が僕には無かった。

「やっぱりいいや。どうも」

僕はため息して、そう言った。こんなのに六十元も出したくなかったのである。

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豫園商城を去り、路地裏に一つ入ったところにある食堂で夕飯。店番のおばちゃんに有無を言わさず連れ込まれた感じだったが、そこで牛肉麺と炒飯を食べた。路地が一つ違うだけなのに、お会計しめて十二元である。

むしゃむしゃしながら、地図を睨んで一人作戦会議。夜景の綺麗な外難にいってみなければなるまいと思う。

豫園からは遠くない。歩いていけそうだ。

「ごちそうさん」

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小吃の屋台通りを通り抜ける。気になるものがあれば迷わず買う。そして食う。肉まん。一個七円。ゴマをふってある、ナンのような平たいあんパン。十五円。

そうこうしているうちに、視界が開けた。黄浦江を挟んでこちら側を外難、あちらを浦東と呼ぶ。外難にはレトロなレンガ造りの建物が、浦東には東方明珠塔オリエンタル・パールタワーを初めとする近代的ビル群が並び、夜にはそれぞれが華麗にライトアップされる。

岸辺はよく整備された遊歩道であり、雨天にもかかわらず記念写真屋さんが客引きをしていて、欄干には観光客やカップルたちが夜景をバックに写真を撮っている。

浦東側。上海の夜景

外難側。「バンド」と通称する

ライトアップが完成するまでは少し時間がかかるので、岸辺のレストランに入って、ビールを舐めながら待つことにする。見える景色は確かに綺麗と言えなくもないが、雲がビルのてっぺんを隠してしまっていた。しかし贅沢なひと時である。お金があればもっと贅沢なことするのに。

反都会派にして、夜景を景色として楽しむことに断固とした異議を唱える田舎星の僕だが、巨大なビルの表面がまるまるモニターになっているのはびびった。何インチですか?

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ガイドブックにしたがって歩く。なんだか知らないただ巨大なレンガ造りの建物の間と間に、隠れるようにその雑貨屋さんはある。シノワズリ雑貨店『アナベル・リー』。素敵雑貨屋さんである。

「シノワズリ」とはフランス語で「中国の」という意味を指す。同じ意味の「キタイスカヤ」はロシア語だ。植民地時代にヨーロッパに運ばれた文物が向こうでちやほやされたりした。そういう中国的な品々を上海ではシノワズリとよぶ。そして、この『アナベル・リー』こそシノワズリ雑貨の名店として知られるお店なのである。ガイドブックに載ってるくらいだから有名なんじゃないかと思う。

ちなみにここ、日本語が通じる。スタッフの一人が日本人だから。初め気がつかなかったけど、値札や説明文に日本語が併記されているんである。

ブックカバーにするか。どうするか。迷った挙句に僕が買ったのは鍋つかみだった。お洒落な刺繍の入ったかわいいやつだ。

なぜ上海くんだりまでやって来て鍋つかみなのか。そこに鍋があるからだ。

とかく浮世離れした感じの、異次元めいた店だった。僕は店員の女性が日本語を使っていて、自分も日本語で答えていたことに、店を出るまで気がつかなかった。

雨が降っている。鍋つかみを胸に抱えるようにして、僕は旅社に帰った。