九塞溝は東西無双の絶景で知られる四川最強の観光地である。
しかし、かなり遠い。
成都から程近いものと思いこんでいたのだが、調べてみるとバスで10時間という。丸一日を移動に当てる算段だ。現地に一泊し、次の日観光し、さらに一泊、そしてまた丸一日かけて戻る。中国の長距離バスは危険である。バス自体ぼろい上に、運転手の質も悪く、道も悪路ばかりで事故が多い。10時間というのははなはだメランコリックな数字だった。九塞溝は行きたい観光地の一つだったがこれを見て、スルーしようかと一度ならず考えた。しかし結局行くことにした。
あちらについたあと宿が探せるかどうかは疑問だが、いちおうSim`sでよいホステルを紹介してもらった。
空港もあるので、飛行機を使えば成都から40分でつく。ただしチケットは世界でも最高水準のお値段である。8万円とかすると聞いた。お金があって時間がない人はこっちでどうぞ。

朝、夜も空けないうちからチェックアウトしてターミナルに向かった。U氏はレセプションのソファで毛布にくるまっていたが、起きて手続きしてくれた。激職だな。ただでさえU氏は、普段は客と同じ8人部屋の一つで寝起きしている。私がとっていた部屋に一床だけタオルや着替えやらがやたら散乱してむやみに生活感を放ちまくりのベッドがあり、それがU氏のベッドだった。プライベートも何もあったものではない。
九寨溝行き長距離バスは大型で座席もゆったりめに造られていたものの、トランクが一杯になっていたので私だけなぜかスーツケースを足元におかねばならず、必然私は椅子の上に体操座りみたいなかっこうになってしまう。これで10時間は肉体的にも精神的にもきつい。なにより見た目的にかなりきつい。暖房はつけない主義らしくて車内が寒いのも私を苦しめた。風邪をひき始めていた私は、ジャンパーをしっかり着込み、マスクをして喉を保護することにした。

日本人の若者がいた。大学生と思しい女性の三人組だった。私の悩みは目下、「彼女らに話しかけるべきか否か」の一点にあった。
私(白)「こんな遠い場所で同じバスに押し込められているのも何かの縁、挨拶を交わすくらいのことはあっても良いのではないか」
私(黒)「いやいや彼女らは3人仲良く旅行の最中。私ごときおじさん領域に片足突っ込んだ無職引きこもりが余計なことをして興を削いではならない」
しかも彼女らは私と通路を挟んだすぐ隣に座っていた。なにか一言あれば簡単に届く距離だ。だが・・・しかし・・・
黒白の脳内会議はこのように喧々諤々の様相ではあったが、いかんせん議長(本体)がヘタレなので結論は出なかった。今まで2回あったトイレ休憩と、昼食休憩、これら豊富なチャンスをみずから華麗にどぶに投げ捨て、今に至っていた。

3度目のトイレ休憩、高所から湖を望む見晴らしのいい湖畔で私はバスを降りた。特にそっちの用があったわけではない。綺麗におめかししたツノの立派なヤクがつながれていて、観光客にちやほやされている。お金を払えば背に乗って記念撮影ができるらしかった。騎乗はしなかったが私もそのもふもふした姿を写真に収めた。
ふたたび乗車して着席する際、ようやく、さりげなく、ごくさりげなく、降車しなかった彼女たちに向かって、
「降りないのですか」
と、声をかけた。このとき成都を出発してはや6時間が過ぎていた。
「あ、やっぱり日本の方だったんですね」
3人のうちの1人がそういった。

実は3人を知ったのはバスに乗るときではなかった。まったく偶然ではあるが、ターミナルに向かうまでの路線バスの中ですでに乗り合わせていたのだった。
まだ日も出ておらず、薄暗い車内である。そのときの私は、日本人っぽい雰囲気の人がいるな、と思った。車内ゆえ口数は少ないが、聞こえてくるのはやっぱり日本語に聞こえる。でもなんか違う気もする。でもやっぱり日本語っぽい。それでさりげなく観察したらどうにも顔立ちが日本人っぽくない気がする。どっちなんかな。結局、私はターミナル前のバス停で降り、彼女らはそのまま乗っていってしまったので、思考はそこでストップした。その後、私が乗る長距離バスに発車時間ぎりぎりに彼女らが駆け込んできたとき、「およよ」と思ったものだ。
聞くと、単に乗り過ごしたものらしい。彼女らもまた早朝のバスの時点で私を認めていた。「朝も一緒でしたよね」と言う。
私「よく間に合いましたね」
「5つくらいバス停を素通りして、それから急いでタクシーに乗って。なんとか間に合いました」
私「よかったですね。Sim`sに泊まっていらしたんですか?」
「ええ」
私「てことは、今日の宿もきっと同じ宿ですね」
「私たちは予約してもらいました」
私「私はしてないので、ちょっと心配」

バスは険しい山と山の間、谷底の道をひた走る。山は草木が少なく、ほとんど岩肌がむき出しになっている。そそり立つ岸壁が道のぎりぎりまで迫っており、落石の跡も多くあって少々恐ろしい。遠目には獣道がうっすら確認できるし、石を積んで原始的な舗装をしてある箇所もあるので、ここを往来する獣や人もいるらしいことが分かる。石積みの小屋や土の貧相そうな畑もあり、人の姿も見えた。
小さいながら集落も点在していた。一度大きめの街を通ったとき、田舎町には不釣合いなほどでかい銅像をみた。編み笠をかぶり藁で編んだ合羽を羽織っていた。手には大きな鍬を持っていたので、私はこの人物が中国神話の伝説的な帝王である禹であると気が付いた。治水で業績をあげた人で、三皇五帝の最後の一人である舜から帝位を譲られ、夏王朝を開いたとされる。この辺の人だったとはついぞ知らなかった。
厳密には神話ではなく歴史上の人物とすべきであるが、熊に変身する能力があったらしく、どうにもいまいち完全な人間になりきれてない。嫁に逃げられた時、熊に変身して追いかけたらしい。嫁は恐怖の余り石化。無理もない。すると禹は、石になった嫁をとりあえず一撃。こうして生まれたのが夏王朝二代皇帝・啓である。ひでえ話である。

地名で言えば?川県とか茂県と呼ばれ、2008年5月12日四川大地震の震源地となった場所であった。現在はインフラも復興しており、『512四川地震遺址』の看板とともに、崩れた橋や土砂に埋もれた道路が保存され、それらを横目にしながらのバス旅行であった。土砂で川がせき止められ、ダム湖となった湖に水没する民家なども見える。記憶をとどめるという意味もあろうが、正直なところ単にほったらかしているだけな気もする。バスは地震後に新しくできた道を走っている。かつてあった道は川の対岸に土砂に埋まり、わずかに覗けるのみだ。

住宅もすでに復興を完全なものにしており、地震の爪あとは見られない。このあたりはチベット族という少数民族が多く住む町だ。真新しい家々にこれみよがしに翻る五星紅旗はいったい何を意味しているのか。
とはいえ、コンクリートブロックをレゴブロックみたく積み上げて作ってある家である。また同じような地震が来たら同じように崩れるのではないかと思われた。

村の中を走る細い道のわきに人だかりがあった。私は窓側に座っていたからその様子が見えたのだが、道から2メートルほど下にある菜園にお婆さんがうつぶせに倒れていた。車にひき飛ばされて転落したものと思われ、救助にあたろうにもどうすればよいかわからず、周囲も途方に暮れている様子だった。

続いてバスは松藩を通り過ぎる。長い歴史を持つ街で、古城を持つ小さな観光地である。城門の前に立つ文成公主とトルファン王ソンツェン・ガンポの銅像がランドマークで、ここのバスターミナルで長めの休憩を取った。何人かの乗客がここで降り、私の隣の乗客も下車した。体育座りの苦行がようやく終わりを告げた。
松藩を過ぎると、道は広くなり、牧草地や湿地帯なども見えてくるようになった。緑は少なく、雪が覆っており、放牧されている馬の寂しげな姿も見えた。これまで見えるものといえばそそり立つ断崖と岩肌、青黒くにごった水がごうごうと流れる川がエンドレスであり、それらの強制鑑賞を強いられていた乗客は、ようやくその逼塞感から解放された。

夕方、六時ちょっと前、予定よりわずかに早く、バスは九塞溝バスターミナルに着いた。
降車しようとする我々をホテルの客引き達が取り囲んだ。中にはバスに乗り込んで声を張り上げるものまでいる。
「迎えが来てるみたい」
女子大生3人組の一人が言った。
黒髪を纏め、眼鏡をかけた若い女性が、彼女らが向かう予定のホステルの名前が書かれたボードを目印に抱え、群衆から少し離れた場所にぽちねんと立っていた。

女性スタッフ「あなたたちが予約の3人ね。それじゃこれからホステルまで向かいましょう。ちょっと待っててね。この子の切符を買ってこなくちゃ」
この子っていうのは女性と一緒にいた小柄な男の子で、彼も日本人だった。明後日成都にもどるため、迎えに出る女性スタッフについて切符を買いに来たのものらしい。
「じゃ、行きましょうか!」
3女性のほかにも同じホステルを予約していた乗客が2人いた。全てのやり取りは英語で行われ、その間私は完全に蚊帳の外だった。本当に行ってしまいそうだったので、私は慌てた。
「ちょット、よろしいですカ?」
「ん?」
「ワタクシも一緒に連れて行っていただきたいのですガ!」
私のへたくそ中国語を頭の中で噛み砕くのに数瞬かかり、女性は私の言いたいことを分かってくれたらしく、にっこりと笑った。
「いいわ! 1、2、3、4、5、6、7。全部で7人ね」
私は他の客である西洋人男性2名と同じタクシーに押し込まれ、ターミナルを出た。

九塞溝バスターミナルから高級ホテルや格安ホステルが並ぶ界隈までは車で5分ほどある。その中間あたりに九塞溝の入場ゲートを見た。
道路のすぐ横は山。ここはまさに峡谷の最底部。小さな川があるが、水量も豊富で流れは激しい。そして寒い。川の向こうはまたすぐに断崖がそばだつ。
我々宿泊客は女性スタッフの案内でレセプションに通された。レセプションにいた別の女性スタッフが手続きのために並ぶ宿泊者を手際よく捌いていく。女子大生3人組の後に私、その後、男の子が連泊の手続きをした。
スタッフ「asdfghjklqwertyuiosdfghjklxcvbnm?」
私「お願いします。中国語で喋って」
スタッフ「ん? 中国語? OK・・・何泊なさいます?」
私「2日で」
それを聞いていた、男の子が言った。
彼「中国語ぺらぺらなんスか」
私「いや、カタコトですよ」
スタッフ「彼と同じ部屋でいい?」
私「同じ部屋でいいですか?」
彼「ええ」
私「それじゃ、それで」
私と男の子は鍵を渡され、部屋に案内された。
このホステルは全体的にSim`sと同じ雰囲気で、後に判明した話だが、設立の際にSim`sが大きな助力をしたからしかった。日本人スタッフもいるらしい。ちょうど今は休暇をとってあちこち旅行に出ているのだそうだ。まあ、オフシーズンだしね。
漆喰が塗られた壁にはかわいらしいパンダのイラストがペイントされているが、これも日本人アーティストの仕事らしい。日本人多いな。

男の子はRくんという。小柄で愛嬌のある顔つき、可愛がられ系というか、なんとなく目を離すと心配になるオーラを発散していた。さぞかし人にもてることだろう。
二人は二階の一室に荷物を置き、一休みした。
大学を休学し、下宿をひきはらい、ただいま世界一周を敢行しているとのことだった。エアアジアとかいう超格安航空機でラオスに向かい、そのまま国境を越えてここまで北上してきたのだそうだ。その航空会社、片道2万でいけるらしい。九塞溝観光は今日済ませたのだが、2Daysチケットを買ってしまったためもう一泊して明日も見て回る。成都に戻った後は列車でウイグルからロシアに抜け、北欧に至る予定なのだとか。世の中にはすごい人間がいるものだな。
私は長時間の体育座りによる体の硬直を解きほぐし、カメラを掴むと、
「よし、明るいうちに近所を探検してきます」
と、言い残して颯爽と外に出た。
Rくん「あ。このガイドブック、見さしてもらっていいっスか?」
私「いいよー」

近所にはホテルのほかに、食堂が2つ3つ、あとは雑貨屋とお土産屋さんがあるのみで閑散としていた。本来なら人が住むような場所じゃないので当たり前だった。九塞溝はほんの50年ほど前まで現地の少数民族以外は誰も知らないという秘境中の秘境だった。
オレンジジュースとパック牛乳、水、お菓子を買って宿に戻った。観光地価格でちょっと高かった。しかし九塞溝の中の売店はもっとお高いらしいので、今のうちに買っておくのだ。牛乳とビスケットは明日の昼食にする。

Rくんとメシを食いに行った。
ホステルの目の前にある食堂に入り、メニューとにらめっこしながら、品物を決めた。小籠包と、チジミみたいなの。
「これ、おすすめよ。絶対気に入るから、食べてみて」と、女将が薦める料理も注文。Rくんはこれにご飯を追加した。若者はよく食べる。一方の私は本格的に風邪を引いてしまって、のどが痛い。食欲もわかないが、回復するためには食事は食べた方がいいに決まっていた。
女将推薦の料理は、そば粉を薄く延ばした皮に野菜と肉を巻き込んだ春巻きのような料理で確かにうまい。
「うまいッス」
「おいしいです」
そういうと、女将は破顔して、大根の白湯スープを持ってきてくれた。「頼んでないけど?」「お金はいいわ。サービスよ」「まじっすか。サンクス!」というやりとりもあった。

「もうちょっとゆっくりして、テレビでも見て行ったら? ビールとかどう?」
引き止める女将の善意に丁重に謝意を示しつつ、我々はホステルに戻った。明日は観光なので、ゆっくり休みたい。完全に風邪を引く前になんとか回復させたくもある。