パンダ保護研究センター、お茶市場

普通のホテルで言うフロントにあたるところをこのホステルではレセプションと呼んでいた。まあ、名称はどうでもいい。チェックインの手続きのほか、各地の観光地の情報収集、ツアーの手配など、バックパッカーのためのあらゆることを行っていた。頼れる我らがU氏は昼夜の別なくここにいて、一体いつ寝ているのか分からないほどだった。
「九塞溝に行きたいのですが」
「バスですね。今からだとちょっと難しいかもしれません」
「いや、行くのは今日ではなく」
今日はパンダを見に行く予定なのだ。九塞溝は数日後を予定している。
「とにかく切符は早めに取りに行ったほうがいいですよ。新南門ターミナルに行けば買えます。ここを出て左、28路バスに乗ってください」
いと頼もしきU氏の言をとって、私はまずバスのチケットを買いに行くことにした。

日付、行き先、時間、枚数を書いた紙とパスポートをそろえてカウンターに差し出すと、お姉さんはカタカタとキーボードを叩いてあっという間もなく発券してくれた。ターミナルに着くまでに例によってバスで1時間近くかかったことを思えば、ほとんど一瞬の出来事である。ほんと、何とかすべきだと思うよこのインフラの悪さは。
3月5日、新南門ターミナル午前八時出発の切符を買った。料金は141元。日本円にして2,000円とちょっとってところだ。

バスターミナルからはでかいタワーが遠目に見えた。展望台があり、成都を一望できる観光スポットらしいが、本当に一望できるんだろうか? 砂埃とスモッグで視界10mとかではとても一望とは認められまいと思われた。青島タワーやら大連タワーやらその手のものには何度か行ったことがあるが、どれもがっかりだったし、入場料も高いので行くのはやめにした。
そのまま直接パンダ保護研究センターへ向かった。バス停の路線図を見て、昭覚寺バスターミナル行きのバスに乗り込み、終点のお寺まで行く。目的地は成都市北の郊外にあるので、そこからさらに乗り継ぐ必要があるのだ。ついでにお寺にも寄ろう。

昭覚寺は仏教寺院である。入場料は2元。安い。
瓦の葺き替えをやっていた。同じ瓦とはいえ日本とはだいぶ形が違う。施工のやり方も異なるようだった。地面に落とされた古い瓦が砕けて山を作っていた。
その隣が動物園で、境内から直接入園できるようになっている。しかし寺の伽藍は配置がやたら個性的で、地図はあっても現在地がそもそも分からない。ひなたぼっこしているおばあちゃんがいたので訊いてみる事にした。
「すいません。動物園ってどっちですか」
「んー?」
「どうぶつえんってどっちですか?」
「どこって」
「ど・う・ぶ・つ・え・ん」
「あー?」
「ドーブツエンですってば」
「うー? ひょっとして動物園かね?」
「そうそれ!」
「まっすぐいって、左」
「どうも!」

地方でも若い人だと標準語に慣れているから私のへたくそ中国語でも割合通じるが、老年の人にはきっちり発音しても通じない。四川の人がしゃべる中国語は四川方言だ。中国語の方言は大きく六つに分かれており、それぞれがまったく別の言語のように違っていて、各方言の話者同士だと互いに通じないことも多い。上海語と広東語が同一言語の一方言に分類されるのなら、英語とドイツ語とフランス語は全部同じ言語でなければおかしいと中国語学は言っている。オマエナニ言ッテンノ?
ただ四川語は比較的標準語に近いとされていて、私も若干は心安くいたのだが、やはりご老人とは言葉が通じないのだった。
四川語が標準語に近いのは、明が滅びて清が取って代わる時代のドサクサで張なにがしとかいう四川の地方長官が住民の大虐殺をやらかして古代四川人がほぼ全滅し、その後北方からどっと人が流入したためだ、という話である。どうやら快楽殺人者だったようで、人が死ねば何でもよかったらしい。古今東西の暴君がなぜか必ずやらかす妊婦の腹裂きはもちろんやった。酔った勢いで自身の嫁と子供を殺してくるように部下に命令し、拒否した部下を殺害、結局別の部下が皆殺しにしたんだが、翌朝酔いが覚めて嫁が死んでいるのを見て激怒、「何で殺したんや!」とその部下も殺してしまった。ひどい。結局、四川省の総人口300万人を鏖殺し、ほぼ全滅させた。残ったのは1万人かそこそこだったらしい。嘘かまことか知らないが、そういうお話である。

動物園はあまりやる気がない様子だったのですたすたと見て廻るにとどめた。一応パンダもいるものの、寝転がったまま微動だにしない。本当にやる気がない。大連で初めてパンダに邂逅したときもこんな感じではあった。「寝てばっかりなのでどうせパンダを見るならパンダ基地に行こう」、とガイドブックに書いてあるほどである。
動物園からパンダ研究基地まではやはりバスに乗っていくのだけど、いくら待ってもバスが来なくて困った。歩道の端に腰掛け、何千人もの人が目の前を行きかうのを見送った。頭の上を軍のヘリが編隊組んで飛んでいった。鳩の群れも飛んでいった。やがてぼろっちいマイクロバスがえっちらこっちらやってきた。私は腰を上げてそれに乗り込んだ。

パンダというのは元々はレッサーパンダのことだった。パンダといえばレッサーパンダ。それがジャイアントパンダが見つかったおかげでこいつをパンダと呼ぶようになり、もともとのパンダにはLesser(より劣る)が付けられてレッサーパンダとなった。ひどい。聞くも涙、語るも涙、どうしてこうなったレッサーパンダ。でもわしはレッサーもかわええと思うんよ。
中国語では大熊猫という。レッサーパンダは小熊猫。どう見たって猫じゃないだろうが、横文字を右から左に書いていた時期の混乱でこうなったのだという説がある。実際、パンダは熊そのもので、普段はおとなしく笹食ってるが、いざとなれば肉だって食うし人も襲う。だから本当は猫熊で、台湾では実際にこのように書くという。
成都パンダ繁殖研究基地。入場料58元なり。この中途半端にはなんらかの意味があるのだろうか。不明だ。
四川省はパンダの里、保護センターや繁殖基地がいくつもあって全部まとめて世界遺産に登録されていたりするが、ここは特に交配繁殖に力を入れているのだそうだ。広大な敷地内に生える樹木はほぼ竹オンリー(自給自足かよ)といっても過言ではなく、その中に飼育場と運動用の広場などパンダの生活施設や研究施設がぽつぽつ点在していた。
とりあえず案内地図に従い、第一パンダ広場から番号順に攻めてみることにしよう。かなり歩くことになるので、電動カートが園内を巡回しているが、無論余計にお金がかかる。
最も遠い第一広場へとことこ歩いて向かった。暑かったので上着を脱いでシャツ一枚になった。3月初旬とはいえここは四川省だ。しかし第一広場は改装中非公開だった。ひどい。他の施設群からかなり離れた場所にあるので、頑張って歩いたのが完全に無駄になった。無駄足だった。無駄骨だった。
次に向かう。
「入園して30分以上になるのにまだパンダが見れてないぞ」
私は独りごちる。歩道を歩き、植え込み作業中の竹林を横切り、石段を駆け下り、吊橋を渡り、次の飼育場についた。それでもパンダの姿が見えてこない。パンダはまだか、まだなのかと思っていたら、そこで不意打ちのようにパンダが登場した。 つがいなのか、二匹仲良く寄り添って座っている後姿のらぶりーなことだった。

  

パンダ一頭につき庭付きの飼育棟が一棟まるまる与えられており、どいつもこいつもねっころがって笹を齧っていた。まるで「ボク、国宝ですんで」と言わんばかりだ。あとで『私は国宝です。騒ぐのを恐れるのです』と日本語で書いてある看板を本当に見つけた。写真を撮った。
赤ちゃんパンダはひとつところに集められ、遊具や笹を与えられて元気に動き回っていた。パンダの幼稚園だった。可愛かった。何度も段ボール箱にもぐり込もうとして、そのたびにごろんと転げる姿に、群がる世界各国の観光客たちの世界各国の言葉が飛び交う。が、翻訳したらすべて同じ意味になるはずである。そしてその中に私が混じっていたことは言うまでもない。まさに殺人的可愛さ。可愛さという名を借りた暴力。可愛いは正義。人も殺せる。
  

大人パンダは厳禁だが、子パンダとはお金を払えば一緒に戯れたり、写真を撮影したりできる。一回、1,000元(1万2,000円)。しかも制限時間(たった5分)つき。暴挙である。

パンダを密猟して、その肉を食べる輩がいるらしい。珍品の肉なので万病に効くとか寿命が延びるとか尾ひれが付きまくっていそうである。捕まったら死刑と聞いていたが、そんなことはなく、10万元(120万円)くらいの罰金ですむこともあるらしい。同じ理由でトラの肉も闇ルートで流通しているらしいが、中国はトラの養殖をやっているのでこっちは金さえ積めば正規ルートでも手に入る。

  

帰り道に西南大茶城というお茶の市場に寄ってみた。街の一区画をお茶屋さんが占拠している、中国西南部最大のお茶市場らしかった。

  

目の前が小学校なので下校する小学生と迎えに来た父兄で通りはごった返していた。中国では中学生くらいまで親が毎日送り迎えする。あまりにも過保護な気もするが、中国では子供は何よりも貴い宝なので、これもお国柄である。小学生ながらにして、山のような教科書、参考書を抱えて通学する子供たちを見るに、彼らが背負うプレッシャーについて思いを馳せないではいられない。通学かばんは旅行用のキャリーバックで、中に教科書や辞書や参考書がぎっちぎちに詰まっている。

  

私は人ごみから逃れるように市場に入った。通りに面したお茶の店はにぎやかに客引きをするが、中ほどの店舗はそうでもないようで、のんびり茶をたてながら客を待っていた。入ると寄ってきて、茶葉についていろいろ説明してくれる。
私はお茶も好きだが、今回ではお茶を入れるときに使う茶具を揃えたいと思っているのである。『茶壷』という日本で言う急須、これは大連にいたときにけっこうよい値段のけっこうよい品を買った。欲しいのはお茶を淹れるときの台になる『茶盤』、お猪口サイズの茶碗『茶杯』。急須から茶杯に注ぐ前に、濃度を一定にするため一旦お茶を移すときに使う『茶海』。お茶を入れたり、茶殻を掃きだしたりする時に使う『茶杓』などである。市場には茶具の専門店も多数あって、私はこれらを熱心に見てまわった。
とあるお店は、店内がいくつかのフロアに分かれており、茶壷と茶杯のフロア、茶盤のフロアのほか、有名陶芸作家による名品のコーナーが設えてあった。それぞれガラスのショーウィンドーに入れられて、作家の顔写真や来歴、作品の説明が仰々しく飾られている。見た目にも高級感漂い、そして実際高かった。
品定めしつつ、案内してくれた男性といろいろ話をした。

「何をお探しかい?」
「茶具。茶盤とかですね。私は中国茶に興味があるのです」
「最近は日本へもかなり輸出しているからね。こいつらもそうさ。」
「日本人でも中国茶を好きな人は多いですよ」
「ここには日本のお店では見られない一品がたくさんある。ゆっくり鑑賞するもよし、買って帰るのもよしだ」

旅は始まったばかりで、かさばる荷物を持ってあちこち行くわけにもいかぬ。結局、今回は何も買わず、男性に礼を言って市場を出た。

夕食は昨日行った食堂で四川名物の料理・水鐘を頼んだ。見た目はワンタンに近く、中に水餃子が入っている。
おばちゃんが「今日はビールはどうする」と訊いたが、雪花ビール以外はないと言うので、今日はビールは頼まなかった。