成都市街は地図で見てさえ随分広く感じるが、実際に歩いてみると地図で見るよりもまだ広大だった。手にするはSim`sでもらった特製成都マップ。主な観光地やオーナーお勧めのレストランなどの情報が満載だ。
どれだけでかいのかというと、例えば市の中央を背骨のごとく貫く『人民路』。これの全長が地図上の目算で軽く8Kmはある。あまりに長いので人民北路、人民中路、人民南路に分けてあるほどだ。しかも、何を思ったか中央付近で二股に分かれたり、また合流したりしているので、『人民北路二段』だとか『人民南路三段』だとか、なにやらバトル漫画の必殺技みたいな複雑な名前になってしまっている。もうなにがなんだか分からない。地図に強いと自負する私をしても地理を把握するのには時間がかかると思われた。
それと空気が悪かった。あちこちで道路工事をやっていて、その砂埃が街中に飛散し、うっすらと降り積もっていた。道も灰色なら、並木の枝葉もみんな灰色。宮崎県の新燃岳のことが頭にあったので、はじめは「すわ火山灰か?」とか思ったりもした。
その二つがこの街の主なマイナス点であり、それらを総合し、私が今まで訪れた都市の快適度をランキングすると以下のようになる。

日本を100とした場合。

90 大連  とにかく快適。梅雨がなくて、夏涼しい。日本人が多く、住民も親日的。
80
70 上海  快適なるも物価高し。人が多くて空気が悪い。
60 青島  ただし今は大連と並ぶくらいにまで発展しているはず
50 成都  ムダに広くて、空気が悪い 夏はきっと蒸し暑い
40 蘇州  まずまず
30 ハルピン  寒い
20
10 フフホト  生命維持が困難

歩き回って街の雰囲気を確かめることにした。宿から一番近い観光地である、「文殊坊」というお寺を、まずは目指した。
文殊坊は仏教寺院であった。そしてその周りはお土産屋さんが立ち並ぶ屋台街になっていて、むしろこちらが観光の主役といえるようだった。いろいろな屋台料理を楽しむことができるし、お土産も買える。
屋台街をひやかしたあと、一応、お寺にも参り、境内の茶園で一息ついた。昨日の夜から何も口に入れていなかった。
四川に来て初めて見たが、『茶園』とは、日本で言うところのオープンカフェのような場所で、公園やお寺の境内などの広場にある。卓と椅子を並べ、利用者は数元を出してお茶を注文する。蓋付きの椀の中には茶葉が入っていて、蓋と椀を微妙にずらしてその隙間から茶葉が口に入らないようにしながら器用にお茶だけを飲まなければならない。お湯は無料であり、ヤカンを持ったおじさんおばさんが場内を廻り、飲み干したところを見計らって注ぎに来てくれる。老若男女、仲良し同士で集まり、駄弁ったり、トランプしたり、麻雀したりしてのんびりと各々の時間を過ごしていた。
まわりのご老人たちは安くてうまい高山茶を求めていたが、私はちょっと高めの鉄観音を試みた。二杯ほどおかわりをいただいて、私は立ち上がり、本来の目的地へ向かった。

   
地図と実際とをかわりばんこに眺めながら道を行くと、偶然、骨董の市場にたどり着いた。骨董好きな私は、こいつぁ朝から縁起がいいぜぇと市場に入って、様々な商品を物色した。何か買えばよかったのだが、どれも高かった。最近、骨董は投機の対象になっていて、本物だろうとニセモノだろうと価格が急上昇している。使用済みの切手やそこらの石ころにだって値がつくぐらいの狂乱ぶりで、市場もまたにわか骨董ファンがにわかには近づきがたいオーラをにわかに発していた。どうせ全部ニセモノだろうしな。
予想外の出会いにより、私はここで1時間ばかり時間を費やした。

  

地下鉄があった。
「生意気な!」
この頃からのことだと思うが、中国はなんでか知らんが盲目的に地下鉄を作りまくっていた。バスがあるのだから地下鉄に用はないだろうに、文明発展の象徴かなにかと捉えているのだろうかとも思われた。私が以前住んでいた大連にも去年から地下鉄の建設工事が始まったそうだ。以前住んでいた者としては、「要らん」と思わないでもない。地下を掘った時の土砂が空気中に飛散して、汚染がひどくなっていると、大連に棲んでいる友人は言っていた。
とはいえ、経済成長とともに超クルマ社会に突入、その結果訪れた激しい大気汚染と交通渋滞は昨今のニュースを見ての通りだ。公共交通の整備を急ぐのも無理なからぬことと思われた。しかし、地下から掘り出した土が空中に舞いあがり、火山灰の様に降り積もる。結局、空気は汚れてるじゃないか。
券売所は窓口と自販機の両方があった。エラーが起きないよう、真新しい10元札を選んで機械に食べさせ、2元の切符を買うと、1元硬貨が8枚、じゃらじゃらじゃらと出てきた。中国は紙幣社会で、硬貨を見ること自体少なかったものだが、ああ、時代は変わる。
「小癪な!」
ホームに下りて、ちょうど良くやって来た列車に乗った。地下鉄はまだ新しく、清潔だった。
目的地に最も近い駅で降りたものの、そこからさらに2キロくらい歩かなければならなかった。道に迷わないコツは常に地図を手に持って歩くこと、現在地を常に確認し、少しでも悩んだらその場で立ち止まって地図を見ることだ。

  

ちょうどお昼時だったので、Sim`s特製MAPに載っている担々麺の美味しいお店に行った。下町の食堂風の小汚い感じだが、それもまたよし。
担々麺はその字のとおり、岡持ちを前後に担いで運び売りするのが本来の姿だ。日本の時代劇に出てくる蕎麦売りなんかを想像してもらうとよい。そのため、運びやすいようにと、中国の担々麺にスープはない。日本の坦々麺は日本人向けに改良されたもので、昨今話題の汁なし担々麺ものこそ、本場四川の担々麺なのである。もちろんその味はまだ天と地ほどの開きがある。私の住む広島は汁なし坦々麺元祖の街を称しており、実際、市内には様々な汁なし坦々麺専門店があるのだが、どれも本場四川のものとは異なるように思う。
また、四川といえば万人に想像できるように、食べ物が異様に辛い。唐辛子の辛さもさることながら、麻辣(マーラー)と呼ばれる舌がびりびり痺れるほどの山椒辛さが特徴である。マーラーの麻は麻痺の麻で、麻婆豆腐の麻もこれに由来する。(麻お婆ちゃんが作ったからと言う説もあるらしい。そういえば、成都には麻婆豆腐発祥の店がある。)
当然、四川の坦々麺はこの麻辣が抜群に効いている。口から火を吹きつつ担々麺を平らげた後、口直しに甘い白玉汁を注文した。甘いシロップの中に白玉団子が浮かんでおり、中には普通の餡子やゴマ餡、きなこなど、いろいろな種類の餡が入っている。MAPにはオーナーお勧めのメニューとあった。


文殊坊を発ってより、いろいろ寄り道したりもしたが、私の目的地はあくまでも一貫して、ここ、武侯祠とよばれる場所であった。武候祠は三国志の最重要人物・諸葛孔明を祀る寺廟である。君主をさしおいて臣下が祀られるのでは格好がつかないので一応劉備とその義兄弟二人も合祀された。さらに蜀の廷臣らの坐像も次々と置かれていって、今では三国志ファンの聖地となっている。
あと、三国志と三国演義の言い分けには注意が必要だ。中国で言う三国志とは史記や漢書と同じ歴史書としての三国志である。日本人おなじみのフィクションである三国志の場合、三国演義と言わないと向こうの人には通じない。
以上、いつもの豆知識。ちなみに私は大学で中国文学など専攻していたが、三国志を読破したことは一度も無い。

武侯祠は坦々麺屋から歩いてすぐの場所にあった。「三国聖地」と掘り込まれた巨大な石碑が目に入った。私はうむと一つうなずいて気合を入れなおし、チケットを買って悠々と入場するのであった。
中国の寺院では伽藍の中は樹木が植わって小さな林のようになっているのがお約束だが、成都は南国なだけあり、それらに加えて様々な場所に盆栽が配置され、季節のこともあって鮮やかな花をあちこちに咲かせていた。梅と海棠が見ごろのようだった。花弁は石榴の実の様に小さく、赤く、透明で、なんともかわいらしい。
とりもなおさず、諸葛亮以下、主要な方々にまずはお参りする。塑像が祭られており、諸葛亮は知的且つ凛々しく、劉備からは温和な雰囲気と、それぞれ個性が強調されていた。武臣である関羽と張飛は少少強面で、かっと目を見開く様は下から当てられているスポットライトも相まってちょっと怖い。諸葛亮と関羽は中国史でもっとも人気のある人物なので廟もそれなりに絢爛で、その分、劉備の廟が切ないことになっていた。
そのあと隣接する庭園などを見た。大した庭ではなかった。天下一とも言われる蘇州の庭園群に見えた後では、どの庭も見劣りする感は否めない。

  

武侯祠の周りは古い町並みを再現した屋台街「錦里」となっており、食事や喫茶のほか、川劇(四川の郷土劇で、京劇のルーツの一つ)の観劇ができる。コンサートホールでやるような演劇、ミュージカルとは違い、日本の歌舞伎劇場で見る歌舞伎がイメージとしては近い。個人の席に加えて桝席があって弁当や酒に舌鼓しながら見るように、川劇の劇場も、ごくこじんまりとした劇場には個人用の席のほかにテーブル席や個室といったVIP席があって、お茶を飲んだり酒を飲んだりしながら見る。ホステルに頼めばチケットを取ってくれるが、結構高い。人数を集めてテーブル席を取り、割り勘するのがお得らしい。

 

さらに、ここにくれば何でも揃うというほどにお土産屋が集まっており、見ているだけで楽しく、時間が潰せる。パンダグッズや三国志グッズはもちろん、似顔絵やら中国剪紙(きり絵)やら飴細工やらとにかくいろいろだ。これらの数々は意想外に見ごたえがあり、私はしばらく通りを行ったり来たりして、屋台料理を食べたり、お土産屋をひやかしたりした。

  
それから近くの青羊宮という道観(道教のお寺)へ行った。細かいことを言うと文殊坊は仏教、武候祠は道教寄りの民間信仰、青羊宮は道教と、それぞれ宗旨を異にするわけだが、しかしマニア以外にはどうでもいい話なので詳しい説明は省略するものである。
しかし、建築様式にはそれほど差異があるように見られない。日本では寺と神社なら建物から伽藍まで全く異なるが、こちらはどの宗教の建物も共通して木造瓦葺で、軒がやたらととんがってしかも反り返っているパンクな屋根、と、どこも大差がない。仏教なら普通の仏教寺院とチベット仏教寺院は色使いが違っていて分かりやすいが、これでは中の人(ご神体、ご本尊)が神か仏かぐらいしか違いが無いではないか。
太上老君、元始天尊、霊宝天尊のいわゆる三清のほか、崑崙十二仙などの塑像が安置されていて、西遊記や封神演義(マンガも可)を読んだことのある人ならけっこう楽しめる。
羊の青銅像があって、これをもって青羊宮という。触るといいことがあるそうなので、あちこち撫でまくっておいた。

  

ホテルに戻って一休みしたあと、近所を散歩がてら屋台料理をつまみ、腹を膨らませた。ホステルの周囲は古ぼけたビルとアパート群となっていて、そういった中国の雰囲気を味わいたいならうってつけではあるが、目新しいかというと、それなりに場数を踏んでいる私にとっては、そういうことは全くないのだった。

二段ベッドにはカーテンが付いていて、なんとなくプライベートが守れる気になるようにようになっている。なにやら鬱々として、気分が沈みこむので、ベッドに上がってカーテンを閉め、引きこもりモードとなった私は布団に潜ってとりあえず眠ろうと努めていた。
部屋ではフランスから来た女性とStatesからやってきた男性とが恐ろしく流暢な英語で喋っていた。States。Statesねえ、ふーん・・・。
「出張でネ。二週間の予定で来てる。青島で働いてもう二年ほどになるヨ」
「まあ、すてきネ」
YAだのOh!だのを矢鱈滅法に連射する会話が耳に強制介入してくる。中途半端に聞き取れるので余計たちが悪いときた。英語なんてABCごと忘れ去って久しいと思いきや、意外と覚えているもので、自分でもびっくりした。
しかしやがて「ホステルのバーで一杯」という話になったらしく、男女は笑声を響かせながら部屋を後にした。うまいことやったな、States。
今が好機。眠ってしまおうと目を瞑ったが逆に寝付けない。
仕方なく携帯をいじっていると今度は電池がなくなり、ため息しながら充電器を繋いだら、画面が2、3度バチバチと閃光を発してのち、いきなり真っ暗になった。
「Why?」
電源ボタンを押しても反応なし。電池を外して入れなおしたり、コンセントを付け直したりしてみたが、回復する様子はない。
しかし私は冷静だった。こういう事態はすでに了解していたのである。なぜって我々にはあまりにもしょっぱい前例があるではないか。青島旅行の際、旅行の初っ端、乗船の瞬間に電子辞書がぶっ壊れた話は四年を経てなお記憶に新しいところではないか。
「ああ、これはもう絶対に直らないな」と、私はこれまでの経験に基づく帰納的結論をすぐさま導き出した。気分はどん底、思考は落ちてはならない陥穽へはまり込み、「自分、何のために生きてんのやろ?」と、人間として言ってはならないことを似非関西弁で口走ってしまうほどだった。

さらに追い討ちをかける様な出来事が起こった。現実はいつだって非情だ。
つい先ほどの話である。部屋がノックされ、私はもぞもぞと布団から這い出してドアを開けた。背の高い西洋人の若者が立っていた。英語だった。
「あのさ、フランス人の女の子が二人、この部屋にいるはずなんだけど」
「ああ、いるよ。今はいないけど」
「いない? 入ってもいいかな?」
私が彼を招じ入れると、彼は部屋を一瞥、私以外に誰もいないことを納得したようだった。
彼は何事かしゃべった。私は聞き取れなかった。
すると、彼は中国語に切り替えて再び口を開いた。
「二人が帰ったら伝えてくれないか。ホステルのレセプションで待ってるって」
当然、私も中国語で応じる。それにしても西洋人が中国語を喋っているとどうしてもなんだか不思議な感じがするんだ。
「そりゃ、もちろんいいけど。その二人は中国語しゃべれるのかね?」
「いや無理」
「私、エイゴ、しゃべれまセン」
「そっかー。
じゃあいいや。なかったことにしてくれ」
「悪いね」
「こちらこそ悪かった。じゃあね」
若者は去り、私は再び布団に入った。
やっぱり英語だよな。中国語なんてできても、英語がしゃべれなきゃ何もできないのと一緒だよ。
私は今まであえて目を背けてきた国際社会の現実に直面せざるを得なかった。私は中国語ではなく英語を勉強し続けるべきだったのかもしれなかった。せめて高校生程度の英語力を維持する努力を続けるべきではなかったか。今の私は英語で「いない」と言おうとしてもほぼ自動的に「不在」が出てきてしまうほど中国語脳になってしまっていた。
それにしても本当に、何で生きてるのか分からないのだった。生きている意味はあるのか。それはどこにあるのか。そんなことをこんなところで考えていてよいのか。

そんな状況で携帯が壊れたので、当然のことではあるが、私も日本に帰ろうかなと本気で考えた。こちらに来てまだ一日もたっていないが。
先ほどから何か耳障りな音がすると思ったら、洗面所の水が出しっぱなしになっているようだった。カーテンの隙間から覗くと、いつ戻ったのか先ほどのフランス女性が腰に手を当て嘆息している。
「ごめんなさいね。こわれちゃったみたいなのよ。プシャーって」
水道管も壊れたらしい。それからスタッフがやって来てとりあえず応急修理し、プシャーが止まるまでの約1時間、私は寝付けぬまま明日以降の算段をつけていた。すなわちどうやって帰りのチケットを手に入れるかであった。