五.山城にて

この日、アウランガーバード郊外に位置する、ダウラターバードの古城へ。ここはもともとムガール帝国やデリー・スルタン朝などの北インドの諸王朝とは別個のムスリム勢力が拠点を置いていた場所で、デカン高原の岩山がまるごとひとつの城砦になっている一大要塞なのだ。

それなりに見ごたえのある城なのにも関わらず、近郊のエローラやアジャンター遺跡群の陰に隠れて、外国人観光客の姿は内部ではほとんど見ない。

 

 

蒸し暑い雨季のデカン高原の日差しの中、汗だくになりながら山道を登る。途中、Wデート中とおぼしき若いインド人男女のグループとすれ違い、お互いにカメラで記念撮影。彼らいわく、外国人がとにかく珍しいので、記念に写真が欲しいのだそうだ。

滝のように滴る汗を拭きつつ、運動不足の身体を引きずるようにして山城の頂上へ。眼下に広がるのはデカン高原の絶景。体力を使っただけの甲斐はあったと思ったが、昼下がりに宿の部屋へ戻った後に疲労の極限でベッドに倒れこみ、夕食時にいじきたなく起き出した以外は、そのまま十数時間眠りこけた。やはり、無理はよくないようだ。

六.壁画とウソ

アウランガーバードからアジャンターへ。例によって、インド人を満載した乗り合いバスにガタゴトと揺られる。

アジャンターの石窟群は、石仏彫刻それ自体はもちろん、洞窟内部の美麗な仏教壁画にも高い評価がおかれているらしい。とは言え特に重要とされる第1窟の壁画などは撮影禁止で、また洞窟の内部も薄暗いため、エローラ石窟に比べるとややインパクトには欠ける気もする。ただ、そう感じるのはここまでに石窟を見すぎて僕の好奇心が磨耗し、評価が辛くなってしまったせいかもしれない。

  

 

アジャンター遺跡から出た後、詐欺師と激闘。互いにウソと裏切りを重ねた後、執拗に追ってくる彼を振り切って、北にあるジャルガオンの街へかろうじてたどり着く。

翌日、ジャルガオンからはるか北のサトナという街まで、一日中列車に揺られる。車窓の風景は、広がる地平線と、平野に点在する樹木、たまに目にする牛の群やレンガ造りの小さな村。幸いに車両の人数にはかなり余裕があったため、長イスに寝そべったまま読書したり、手紙を書いたりして過ごす。

車輪のガタガタという振動を感じながら、バックパックをクッション代わりにして本を開くと、内容が驚くほどすんなりと頭に入ってゆく。インドに来て以来、毎日あちこちと動き回っていたので、たまにはこういう一日もいい。

途中の駅で、奇妙な二人組が車内を移動してきた。中年と思しき彼女らは派手な原色のサリーを纏い、赤い口紅に脂粉をぷんぷんさせていて、立ち居振る舞いにどこか卑猥な雰囲気がある。

老若男女に関わらず、どこか禁欲的な気配を漂わせている他のインドの女性と比べ、彼女らの様子は明らかに異質で、東南アジアの娼婦のような印象を放っていた。

また、更に異様なのは周囲のインド人の反応で、怯えとも親しみともつかないような様子で彼女らに接している。

ついに彼女らは僕の目の前にやって来た。彼女らは僕にどこから来たのか尋ねた後、手を僕の頭に置いて撫でた。そして、わけがわからず目を丸くしている僕に「金をくれ」と言う。

僕はもちろん金など払わず、怒って彼女らを追い払ったのだが、それからしばらくは狐につままれたような気分だけが残った。

彼女らが「ヒジラ」と呼ばれる、男装(もしくは両性具有)の歩き巫師の一種で、インド社会では蔑視と畏怖の感情をもって扱われる民間習俗の一形態だったのだと知るのは、日本に帰国してからのことだ。

ヒジラを邪険に扱った人間は呪いをかけられ、子どもにヒジラが生まれるともいう。

―――願わくば、未来の我が子がオカマになりませんように。

サトナに宿をとった翌朝、更にバスに乗り換えて、やっと次の目的地であるカージュラホーの村へ。地図の上ではたかだか100キロ強ほどの距離なのだが、道路状態が極めて悪く、着くまでゆうに4時間以上はかかる。

未舗装道路で深さ30センチ以上はありそうな水溜りにはまり込み、上下左右に揺れまくるオンボロバスに身を委ねながら、僕は身をすくめてただ到着を待ち続けた。

七.不死のひとびと

このカージュラホーには、例によって世界文化遺産に登録されているヒンドゥー寺院と彫刻群があるわけなのだが、ここの遺跡は以前に見てきたアジャンター・エローラ・エレファンタなどのそれとは一味違い、僕たちのような外国人の好事家の興味を極めてそそるものとなっている。

なぜなら、これらの寺院群でかつて篤く崇拝されていたのは男女の交接とそれによる生命のパワーなのであり、寺院の壁にはその種の彫刻が隙間無くびっしりと貼りついているからなのだ。

  

  

さんさんと爽やかに照りつける太陽と抜けるような青空の下、石像とはいえ驚くほどリアルな男女の神様が濃厚に絡み合う姿を大量に見せつけられて、僕は軽く眩暈を感じた。

この精緻な彫刻を見る限り、製作当時はこれらのモデルになった名も無き人間が大量にいたのだろう。

とっくの昔に老いさらばえて容貌の美しさも活力も失い、インドの土に還ってもはやカケラも存在してはいまい無名の人々が、その人間として最も活動的な姿を、石に刻み付けられる形で千年後の未来まで残しているという事実。

これはもしかすると、アジャンターやエローラの石仏たちよりも、はるかに厳粛な意味を有しているのかもしれない。

―――たとえ、その描写がどんなにえげつない形をとっているとしても。---

カージュラホーでは一泊したが、日本語をペラペラと話すような観光地ズレしたインド人が多数いる以外は、のんびりして居心地の良い、非常に快適な村だった。

翌日の午後、再びバスでサトナへ戻り、そこから夜行列車でムガール・サライという駅を目指す。次の目的地はガンガーのほとりにある聖地・バラナシだ。

ここは出発前に今回の旅行のハイライトの一つだと目していた場所なので、期待に胸を膨らませつつ、僕は暗闇の中をガタゴトと走り続ける列車の寝台に身を横たえた。

八.深い河・死の街

早朝、バラナシの街へと到着。旧市街の路地を彷徨いながら適当な安宿を探しあて、真っ先にシャワーを浴びる。

インドの安宿のシャワーはたいてい水しか出ないが、乗り合いバスと夜行列車に揺られ続けて汗と煤でドロドロになった身体には、水がかえって気持ちいい。

さっぱりした後、カージュラホーの地元民の店で買ってきたクルタ(インドの男性用の服)に袖を通し、外の街路へ飛び出してガンガーめがけて歩く。

クルタは長袖だが、通気性のある軽い生地が洗い立ての身体にはスースーと心地がよく、下手にTシャツを着ているよりよほど快適だった。

河を求めて迷路のように入り組んだ狭い路地を歩き続けると、不意に大きく視界が開けた。眼下には黄土色の大量の水が、流れているのかどうかすらもわからないような速度で、大地にのったりと満ちている。

バラナシの河畔に無数に存在するガート(沐浴場)のどこかへと出たらしかった。しばらくぶらぶら歩いた後、岸辺の修験者に祈ってもらい、ガンガーの水を数滴口に含む。

空は突き抜けるように青い。

  

    

バラナシは、旧市街が素晴らしかった。

街路がこせこせと複雑に伸びていて何回歩いても道に迷う小巷、そこに無数に寝ころがっている野良犬や牛や人間の姿と、あちこちに大量に散らばった彼らの糞、街路散策の途中に不意にぶつかる、白い布に包んだ遺体を河畔の火葬場へ運ぶ人々の意外に陽気な葬列、路地から思いがけず目にするガンガーの流れ…。

かつてどこかで見聞きしたものも、初めて見るものも、日本にもあるものも無いものも、雑多なものが一定の必然性を持ってこの街を形作っているようだった。

日本のガイドブックで大々的に取り上げられ、多数の小説やテレビ番組の舞台になっただけに、この街には日本人の旅行者が常に大量に滞在している。

彼らの中にはかなり質の低い人間も多数おり、また日本語を流暢に操って旅行者を騙して生活する詐欺師も同じくらい沢山生息しているわけなのだが、しかし、それでもバラナシそれ自体の魅力は減じ得ないように思う。

バラナシの街路は多数の人間の無知と欲と不道徳を吸い込み、それでもなお、良さを失わないのだ。

  

  

    

夕刻、せっかくインドに来た記念にとヨーガを習う。2時間100ルピー(270円)の価格は非常にリーズナブルだが、硬い身体をボキボキとほぐし、呼吸法とメディテーションを教えてもらうだけで、なんだか体の中がきれいになった気がした。

ヨーガの先生はいかにも日々精進を重ねていそうな長身細身のインド人で、楽しく教えていただけた。僕はさすがにそこまではやらなかったが、一週間レッスンを続ければそれなりのことが伝授できるとのことである。

ヨーガ道場を出て驚いた。日が既に落ち、街の表情がガラっと変わっていたからだ。ガンガーの河畔では、礼拝(プージャ)のマントラの声が響いている。

  

路地の商店に裸電球が灯り、暗く狭い街路に、マントラの読経の声と、この時間になっても休み無く行なわれる葬送の鐘の音が響き渡る。

街を歩くと、思いがけず礼拝の異様な集団と出会い、さながら百鬼夜行に出会ったような気持ちで道を譲る。

独特の音と灯光に身を浸しながら歩くと、自分の立つ場所がもはや此岸に非ざるかという錯覚すら生じてくる。

これは旅行者の勝手なロマンチシズムなのかもしれないが、この街には確実に、世界中でも最もあの世に近い場所のひとつなのだろうと思わざるを得ないものがあるように思った。

九.初転法輪

数日バラナシに滞在した後、郊外の仏教聖地、ブッダがはじめて教えを説いたサールナート(鹿野苑)へ。

その場所は現在は緑地公園のようになっており、アショーカ王が建てたという巨大なストゥーパと、とうの昔に廃墟と化したレンガ造りの仏教寺院跡が無言で鎮座している。

空と遺跡以外は何も無いような場所だが、その雰囲気がなんとも好ましかった。

その緑地公園の中で、仏教の僧侶の一団が何事かを演説しており、少なくない人数の聴衆を集めていた。

演説はヒンドゥー語だったため内容を掴むことはできなかったが、聴衆は日陰を探して座り込みながら、真剣そうに話に耳を傾けている。

    

ブッダが教えを説き、やがて教えが興り巨大な寺院とストゥーパが生まれ、更にはそれも歴史の中で全てが破壊されて滅びたこの場所で、いま、再び僧侶が立って法を説いている。

輪廻転生を地でゆくようなその風景は、無宗教主義者の僕にも神聖さを感じさせるものがあった。

インド人の伝統的な宗教観は、あらゆる宗教の目指すところはひとつで、宗派や教義の相違はさながら山の頂上へ向かう登山ルートの相違のようなものであると考えるという。

もし、それらが目指すものが、経文の読み方や木魚の叩き方までルーチンワーク化したありがたげな法要や、ひどく難解な教義を議論のために議論することにあるのではなくて、こういう時に人間が感じる敬虔な感覚であるとすれば―――。

心に宗教というものを持ってみるのも、悪くは無いと思う。